アヘル醸造所 (修道院内)

醸造所 De Achelse Kluis
所在地 Sint-Benedictus Abdij, De Kluis 1, 3930 Hamont-Achel, Belgium
http://www.achelsekluis.org/general/home.htm

アヘル(Achel)醸造所は、ベルギーとオランダの国境にある平野と森の間に隠れたアヘルセ・クライス(Achelse Kluis)(アヘルの庵、を意味する)にあります。

既に1656年には新教徒国オランダから来るカトリック信者の祈りの場が、アヘルの人里離れた場所に設けられ、1686年にはペトルス・ヴァン・エーネッテン(Petrus van Ennetten)が修道士のコミュニティーを設立しました。

1794年8月28日、アヘル修道院はフランス兵による略奪を受け、一部が破壊されました。そのわずか2年後には「1796年9月1日法」が制定され、すべての教会と 修道院が強制的に売却されました。アヘル修道院も1798年6月16日に売却され、修道士達は去ってゆきました。新しい所有者となった地方地主はそこを無人のまま放置していたため修道院は急速に傷んでゆき、また国境に位置していたことから、修道院であった建物がしばしば密輸ギャングに使用されたりもしました。

1844年11月18日 ウエストマール修道院の修道院長が、アヘル修道院のベルギー側の建物の廃墟を買い戻すことに成功し、1年後にはオランダ側にあった残りの部分もまた買い戻しました。1846年3月に最初の修道士達がここに到着して古い建物の修復に取り掛かったのでした。

その時はまだ修道院に醸造所はありませんでした。修道士達が昼食の際に飲むビールは、その地域にあるいくつかの地ビール醸造所から買っていたのでした。1850年に修道士達は、既にあったパン焼き場に加えて醸造所を修道院内に造ることを決めました。ベルギー王レオポルド1世(Leopold I)が修道士達に自家消費用の醸造所を設けることを許可した手書きの手紙の写しが、今も修道院の書庫に保管されています。1852年には醸造場はフル生産を行うまでになりました。

1914年10月7日、アントワープに移動しつつあったドイツ軍を迎え撃つべく、ベルギー軍の将軍とその部隊がアヘル修道院の建物に陣取りました。ドイツ軍がやって来て戦闘が始まると、修道士達は修道院の裏口からオランダ側に逃げたのでした。続く何年間かドイツ軍は修道院を占拠し、ビールの製造も完全に止まってしまいました。

さらに悪いことには、1917年にドイツ軍によって醸造設備が完全にバラバラに分解され、銅や金属が弾薬として再利用されてしまったのです。戦後は基金の欠乏から醸造所を再建することができず、ビールの製造を止めるのやむなきに至りました。

ラベルにアヘルセ・クライス(Achelse Kluis)と印刷された最初のビールは、1976年にヒューガルデン村にあったデ・クライス醸造所でホワイト・ビールの父と言われたピエール・セリス(Pierre Celis)によって醸造されました。セリスの醸造所では当時「修道院長」(Vader Abt) と呼ばれたビールを生産していましたが、セリスはこのビールをアヘルセ・クライスの特別ラベルを付けてアヘル修道院に出荷することに同意したのでした。

1985年10月7日の大火事でセリスのデ・クライス醸造所が焼け落ちてしまうと、アヘルの修道士達は新たなビールの供給先を求めねばなりませんでした。スターケンズ醸造所がアヘル修道院向けにクライセルビール(Kluyserbier)を醸造し始め1990年頃まで続きました。1991年からは、パーテルケ(‘t Paterke)といわれる別のビールが一軒の地ビール醸造所から修道院に供給されましたが、これも1995年に商売を止めると修道院は再度ビールがない状態に取り残されてしまいました。

1850年から1917年に至る間のアヘル醸造所の歴史やウエストマールとロシュフォールというトラピスト派修道院との関係、そしてトラピスト・ビールが既に醸造されていたオルヴァル修道院からマーク・ガラント修道院長(Marc Gallant)がアヘル修道院に着任したこと、これらがアヘルの修道士達に再び修道院の塀の内側で小さな醸造所を再興しようと考え直させた要因そのものでした。

1998年12月3日、トーマス・サス修道士(Thomas Sas)が新たに設立されたアヘル醸造所で最初の醸造に取り掛かりました。最初に生産されたアヘル・ビールは「アヘル4」、「アヘル5」及び「アヘル6」と命名され、醸造設備の隣にあったカフェテリアでのみ醸造タンクから直接注いで飲むことができました。2001年、アヘル・ビールを初めて瓶詰め にして出そうとするならこれが一番向いているだろうと思われた新しいビール「アヘル8」、がアントワン修道士(Antoine)によって開発されました。彼は、ロシュフォール・トラピスト派修道院での醸造技師として20年積み重ねてきた経験がありました。1年後の2002年5月には彼はまたアルコール度数8%のアヘル・ダークビールを紹介し、これでアヘル・ビールの商品構成が完成されました。


<トラピスト・ビール>

現在、正真正銘の「トラピスト・ビール」は世界で10ヵ所。そのうち、ベルギーには6ヵ所あります。これらのトラピスト会の厳格な規則に従っている修道院で作られる製品だけが「トラピスト」の看板を掲げることができ、共通の「トラピスト」マークが付けられています。

トラピスト・ビールの特徴は、

1. 修道院敷地内で醸造されている

2. ビール醸造についての権限は修道士達にある。

(ただし、従業員は修道士ばかりとは限らない)

3. ビール販売に於ける収益は修道院の運営管理に使われ、余剰利益は地域社会の慈善事業等に使われる。毎年様々な慈善事業からの申し出がある。