ラ・トラップ醸造所 (修道院内)

醸造所 Bierbrouwerij De Koningshoeven
所在地 Eindhovenseweg 3, 5000 AJ Tilburg, Netherlands
http://www.latrappe.nl

1881年に最初の修道士達がベルケル・エンスコット(Berkel Enschot, 現オランダ)に活動拠点をおきましたが、当初は畠を耕したり牛を飼ったりして自活していました。
 
しかしそういったものでは修道院を建てるに十分な基金をまかなうことはできず、
1884年の早い段階で醸造所も造ることを決めました。ミュンヘンの醸造家の息子であったニヴァルデュス・スウェーカルト修道院長(Nivardus Schweijkart)が必要なもろもろの許可を申請している間に、修道士のイシドールス・ラーベル(Isidorus Laaber)が醸造技術習得のためにミュンヘンに出かけました。一方、グローニンゲン市出身で以前は醸造家であったロマルデュス修道士(Romaldusが醸造所設備設置の指揮をとりました。
 
この醸造所は最初下面発酵ビールのみを生産することに決めました。と言うのも、市場には既に数多くの地方生産のエールビールが出回っていたもののラガービールはまだ
殆ど競争相手もいなかったからです。
 
1891年には醸造所が拡張され、同時期に修道院建築がスタートし、醸造所もStoombierbrouwerij der Paters Trappisten「トラピスト修道士の蒸気で動かすビール醸造所」と正式に命名されました。1897年にこの名前はDe Schaapskooi「羊小屋」に変更されました。これは以前修道院の敷地内に古い家畜小屋がありそこで羊が飼われていたことに因んだものでした。
 
第1次世界大戦後、ビール生産は著しい増加をみせましたがこの醸造所も需要を満たすために近代化されました。1928年には、Trappistenbier Licht(トラピスト・ビールライト)というアルコール度数4%のブロンド・ラガービールが市場に紹介されています。
 
次世界大戦の時期はこの地の多くの醸造所にとって試練の時代でした。あまたの
欠乏の中で醸造用原材料を手に入れることは非常に難しく、生産は極度に減ってゆきました。戦争が終わると醸造所は急速に回復してゆきます。
その後の10年で設備は近代化され、1950年にはレモネード製造ラインが加えられました。
 
生産数量は増え続け、1968年にラガーとエール合わせて5種類のビールが生産されるようになりました。しかし醸造所がうまくいくほどに修道士への負担が非常に重く
なっていったため、この負担を軽減するべく修道士達は他の醸造所と共同ワークを始めました。
 
1980年、修道院では再度完全に100%自分達自身の手で醸造を行うことを決め、醸造所が保有していたいくつかの古いレシピに基づいて、ラ・トラップ(La Trappe)という新しい上面発酵ビールが造られ売り出され始めました。
 
1987年に醸造所はすべて近代化され新しい醸造工場が建設されました。建設と工場刷新の事業は1989年まで継続されました。
 
1991年に新しいビールであるラ・トラップ・クアドルペル(La Trappe Quadrupel)が生産アイテムに加えられました。当初は冬の間だけ醸造されることに
なっていましたが、間もなく通常アイテムに加えられ1年を通して醸造されるように
なりました。
 
しかしながら、近代設備の醸造所運営とその増加する生産販売量は修道院にとってあまりにも重荷になりすぎたため、1999年にババリア醸造所(Bavaria)と事業契約を交わし、2000年には修道院醸造所のすべてのビールラベルからトラピスト・ロゴが外されました。
 
しかしそのわずか5年後の2005年にラ・トラップ修道院とババリア醸造所との間で
契約の改訂が行われるに至り、国際トラピスト協会とラ・トラップ修道院は、修道院がそのビールに再度トラピスト・ロゴを使用するについてすべての条件が満たされたことで、共同合意をみました。ラ・トラップ・ビールは今や米国、カナダ、日本を含む世界中の多くの国々で販売されています。